>>129
柔道は共通試合規定を作ることで柔術界(乱取り流派)を統一した
色々な流派・派閥を吸収したため、嘉納の思想・理想の思惑・流れとは別に、
乱取り・試合を重視する各地域ごとの流派元や各地域学校対抗の意識が芽生える

嘉納の思想・理想は、嘉納の死後も二代目館長南郷次郎の元、
古武道研究会の望月稔や合気乱取りの富木謙治が引き継ぎ研究していたが、
日本の大戦での敗戦後、武道禁止令、且つ戦後柔道が活動復活のために
嘉納思想よりもスポーツ化を目指したため、望月や富木などの柔道界での帰る場所がなくなる

競技性を高めた戦後柔道は試合での実績重視の意識が強く、
試合者や指導者としての実績の伴わない理論家の意見は日の目を見ない

体育法としての競技柔道、勝負法としての武術柔道、修心法としての教育柔道を嘉納は唱えていたが
戦後は嘉納の思想を離れて、体育法・競技柔道一辺倒になってしまう