破門”について改めて考える
…SABAKI一撃会から幹事長•戸塚謙を破門にした理由と経緯

先日、故•芦原英幸先生から託された“SABAKI(殺し技)研究会•一撃会”の幹部を務めて来た戸塚謙を破門にした旨を告知した。
ここで私が強く言いたい事は何よりも仁義を重んじる仲間同士の“絆”を改めて考えて欲しいからである。

そもそも私と戸塚の出会いから説明する。
1990年代初期、私が福昌堂を辞めて(株)Mugenを立ち上げた頃、“2ちゃんねる”などのnetを舞台に激しく汚い言葉で私を批判する者が急増した。その最先端が戸塚謙だった。挙句に彼は事情も知らずに私と東孝のトラブルを一方的に小島を“悪”と断じ批判を更にエスカレートする始末。
無視を決め込んだものの気持ちは穏やかであるはずもない。そんな時、タイミングよく2人の仲裁を申し出る者から連絡が入り、トラブル解決を彼に託した。彼の好意には今も感謝している。
そんな理由から私は戸塚と直接接する事になった。メール更に電話のやり取りを経てどちらが先か覚えてないが、「直接会おう」という事になった。ここで“会う”とは阿吽の呼吸で“勝負”を意味していた。それは私も戸塚も無言に了解していたと思う。
確か立教大学体育館(倅が立教大学の学生で同時に極真会館城西支部配下の同好会の主将を務めていた)にて“一撃会稽古会”を開いた時、戸塚は意気揚々と参加した。予想外に極めて礼儀正しく、さすがに日本拳法の高段者だと思った。
一撃会の稽古会としては、私が捌きの基本動作(足捌きとステップワーク)などを指導していた。会員の殆どが極真空手の有段者また茶帯を締めていた。いつしか戸塚は日本拳法の道着に着替えてストレッチをしていた。会員は無言の内に次の展開を予想していたと思う。
一応取決めとしてのルールを確認した。何故なら戸塚が日本拳法三段であり道場師範代という以上、私に有利なルールで闘うことに躊躇があったからだ。戸塚の意図は不明ながら『極真ルールで!』と主張したが、結局は反則なし実戦形式での組手と決まった。勿論、防具やサポーター類の着用は一切なしである。
私はホラ吹き呼ばわりをされたくないので結果しか言わない。見学していた倅の大志は、「今までで一番やり過ぎたんじゃないか?」30分後には救急車がサイレンを流してやってきたのを覚えている。