消えゆく街のボウリング場
あなたはそのボウリング場が大好きです。思い出もたくさんあり、「ずっと続いてほしい」と心から願っています。しかし、その店はある日、倒産してしまいました。

1. 「自分は悪くない」という傲慢
あなたは「あんなに良い店だったのに、経営者の努力が足りないせいだ」「時代の流れだから仕方ない」と、自分を外側に置いて評価します。 しかし、あなたは最近、以下のような行動をとっていませんでしたか?

「安いから」という理由で、隣町の大型複合レジャー施設ばかり使っていた。

「また今度行こう」と言いながら、一回も足を運ばないまま一年が過ぎた。

SNSで「あのボウリング場、設備が古いよね」と、改善を願うふりをして欠点だけを書き込んだ。

2. 善意という名の「無責任な期待」
あなたは「自分が一回行かなくても、誰かが支えるだろう」と無意識に思い込んでいました。 あなたがその場所を「当たり前にあるもの」として消費し、守るためのアクション(実際に通う、お金を払う)を怠っている間にも、店の維持費やスタッフの生活は限界を迎えていたのです。

3. 「そんなつもりじゃなかった」の残酷さ
店が潰れて更地になった時、あなたは悲しげに言います。 「私はこの場所を愛していたのに、悲しい。どうして誰も助けなかったんだろう?」


その様子を見ていた人が、あなたの涙を否定するようにこう言い放ちます。

「君の愚かな振る舞いだ! 『いつか行こう』『自分ひとりの一ゲームくらい関係ない』『誰かがなんとかしてくれる』。 そうやって、支えるべき現実から目を背け、ただ『好きだ』という感情だけで満足していた君の無関心が、この場所を死に追いやったのだ! その『無自覚な悪意』が、今日この場所を地図から消したのだ。貴様は……万死に値する!」

この例えの本質
構造への無関心: 自分が「客」としてお金を払わなければ、その場所は維持できないという「世界の仕組み」を無視したこと。

消費するだけの正義: 「愛している」「続いてほしい」という綺麗な言葉だけを口にして、実の伴った行動を何も起こさなかったこと。


「やめないでほしいい」「これからも営業してほしいという綺麗な願いだけを持っていましたが、それを実現するための責任ある行動をとらず、状況に流されるまま無自覚に事態を悪化させました。

「好きだったお店が潰れる」という悲劇は、実は私たちの「ちょっとした無関心の積み重ね」という名の無自覚な悪が引き起こしているのかもしれません。