>>329
しゃあないですね。じゃあ、もうちょっともつやつを。
というか、ウェブメールを使うという方法もあったと思いますが…
[email protected]
へどうぞ。

ただ、かなり勘違いされていますので、本当に初歩からされたほうがいい気が…

まずですね、ディストリビューションによって可能か不可能かは基本的に変わりません。
自分が望むものにするための労力が変わるのです。
最終的に最初に入っていたものをすべて捨てることを前提に
構築のためのベース環境として使うこともできますし、
元の環境がどうであれ望むものにすることは潜在的には可能なのですよ。
ただ、その状態にし、また維持するために必要な労力を最小にするために、
自分の要求にあったディストリビューションを選択することに価値があるということであって。
もしあなたがArchの利用に多大な労力を払うと感じるのであればArchの使用は不適であるということでしょう。
私はManjaroを使うことで要求を叶えるための労力を最小にしていると思うから使っています。
ManjaroはArchに対して「環境構築時にArchほど細かく最小限に絞りこまなくていいから構築の手間を減らしてほしい」という要求を叶える差異がある程度でしょう。
設定やパッチングの手間も若干減りますけれど。

そして、文章書きとFirefoxならどこでもほとんど変わりません。
いや、日本語環境でちょっと変わるので、Mozcの導入が大変でしかもいまいちなGentooやSabayonはお勧めしません。
MageiaもAnthy(辞書は良好)、私はほぼ単文節変換なので気にならないけれど、あまりお勧めできません。
ManjaroならMozc-UTが使える(用手当)しlibkkc/skk/anthyもあるので割と良い。PCLOSもUTはないけれど割と良い。
その程度ですね。日本語TeX使いたいんだという話ならもう少しあるかもしれませんが。

MS-DOSが思考の道具というのも、OSと呼ぶのも恥ずかしいあのdamnOSに散々思考を妨げられた経験から言うと私にはそうはとても思えません。
Linuxにしてもそうでしょう。最大限使ったところで、思考を妨げないための道具にはなれど、頭以外で考えることはできませんよ。
それはPCが一般化する前の、コンピュータを使うことに対するその時代特有のお話。

制限越えるので分けます。