>>248
私の書いた内容は現代の言語学というよりは言霊学の系譜に近い、しかし本来この両者を区別する必要はない、科学と宗教を区別する必要がないのと同じように
現在の言語学の主流は、古代日本語は6〜8個の母音、は行はp音fa音からの変化としており、よってこの理論で平安以前の日本語を復元した場合は、意思疎通不可能レベルの言語となっているのがyoutubeの動画等で紹介されている
もしそうだとしたら、更に縄文時代の日本語はほぼ全く違うということになるだろ
私の内容の主張は二つ、一つはもし仮に上記の場合でも日本語五十音の下地は日本語形成の縄文からあったはずであるというもの
もう一つは上記の言語学の主流の仮説が本当にそうだったのか?と問うもの
後者は最初の五十音の構造考察からの派生した疑問のようなものなので、本質の提議としては前者のみとなる

前者の本質については前回述べた通り、後者の考察を付け加えると
は行「はひふへほ」、これは口から息を吐きだした時に生まれる音、さ行は、これに歯を閉じた形で生まれる音
「は〜」は手を温める、「ひ〜」はお産、「ふ〜」は手を冷ます、「ほ〜」はため息、として使われる
問題はこれらの音が、ほんとうに平安以前では存在しなかったのか、或いはp音に置き換えられていたのか?というもの
直感としては違和感しかないということである
むしろp音のような半濁音はハバパ行にしかないので、それが痕跡として表れているだけではないかという仮説
前回述べたように、「吐く、吹く、笛」の言語の形成はp音では整合性がないのではということ
例えばため息を吐くのは、息を「は〜」として吐くのであり、唇を合わせた「pa〜」としては吐かない、そしてこの「は〜」に音を足して生まれるのが「は」なのだから、ここで吐くという言語が成立するのである
また、数える時のヒフミがピプミとなってしまうこと、古事記や神示等にはそれらの変化を示すものがないこと