吉田松陰に師事したテロリストの明治政府は、最初から朝鮮侵略の志向をのぞかせていた。外交通の木戸孝允は、1868年明治元年末以来、ごとごとに征韓を主張していた。

1875年4月に、外務少丞・理事官の森山茂が、
「軍艦を発遣し、対州近海を測量せしめ、以って朝鮮国の内訌に乗じ、以って我が応接の声援を為さんことを請うの議」を寺島外務卿に提出して、軍艦派遣を要請。
それに従い、釜山に軍艦雲揚と第二丁卯が予告なく入港。抗議を無視し、さらに役人の前で発砲演習を行い威嚇。

更に9月20日雲揚が江華水道河口に到着。許可を求めることもなく、ボートで内国河川に侵入して、要塞に接近して挑発。

江華島事件後、10月に釜山に入港した大型快速船の春日は、中牟田少将を迎え、儀仗兵を従えて上陸し、春日から礼砲を発し、孟春からも礼砲で答えるような威嚇を行っている。砲声は湾内に響き渡って軍民を威嚇した。(海野福寿著『韓国併合』岩波新書より)